2011年3月7日月曜日

ピアノを弾くということ

今週金曜日の自分の回復祝いコンサートに向けて、毎日ジャンジャカ、ジャンジャカ、ピアノをさらってます。

最近の練習量は学生時代を上回ってるんではないか?と言うくらい。しかもコンチェルト&バイオリンソナタなんてプログラムは、自分の限界へのチャレンジと言っても過言ではないくらいヘビー・・・そんなのを毎日毎日弾きまくってれば、当然ピアノも消耗してしまい、とうとうハンマー総入れ替えを調律師に言い渡されました。総費用、云千ユーロ(云十万円)・・・σ(^_^;)

それはともかく、こうやって弾く機会を自分で開拓し始めた今日この頃。夏のコンサートツアーも普通のコンサート(といっても誰もが楽しめるようにトーク付きですが)に加えて、先日フランスでやったような普段はコンサート会場にいけない小さな子供の為のコンサートや、病気の方の為のコンサートなんかも出来たらな、と思ってます。

そんなことをしながら時々ふっと思うのが、自分の音楽に対する態度。随分変わったなぁ~と思うわけです。

例えば子供の頃は、やっぱりみんなに「すごいね」と言われたい、というのがあったと思うんですね。ピアノを弾くことで認めてもらえる、みたいな感じでしょうか。

で、音大時代なんかは、周りは弾ける人ばかり。そんな環境で何とか自分のレベルを高めようと色々道を探していたような気がします。成長する為には必要な過程ですが、やっぱりちょっと自己中心的だったというか。

今は、勿論自分の為に弾いているんですが、それでも周りを思えるようになったと言う意味では演奏というか、表現も柔らかくなったような気がします。

例えば、学生の頃なんかに仕事の依頼でコンサートを引き受けていた時、勿論そのコンサートがどういう性質のもので、観客がどうな人かなどは考えて曲選びをしていました。結婚式に葬送行進曲を選ばない、とかは基本中の基本ですが、お金をもらって弾くという意味はここで学ばせてもらったような気がします。

それでも学生の頃はある意味自信がなかったんでしょうか。曲選びは考えても、その後は「いかに上手に弾くか」と言うこと意外は考えてなかったような気がします。

最近は色んな人生経験をしたおかげか「弾くことによって誰かに何かを与えたいなぁ」と思えるようになったこと。これがコンサートの形式とか、表現とか、色んなことが変わってきた理由のような気がします。上手いとか下手とかいうより、今の自分の演奏を楽しんでくれる人がいる、或いは私が演奏することで元気をもらえる人がいる、そういうことが重要になってきたと言うべきでしょうか。ま、だからと言って練習の手を抜いてるわけではなく、絶えず自分のベストは目指すと言う所は変わらないんですが、それに加えて他の人のことも考えられるようになったということでしょうかね。

そんなこともあって、人の演奏ももっと柔軟に聞けるようになった気がします。例えば、昔はあえて聞こうと思わなかったピアニストの演奏も、今聞けばすっと自分の中に入ってきたりするんですね。ちなみに今、ハマってるのはこちら。



実はこの有名ピアニストのアラウ、私の先生の先生。それなのに学生時代は好きじゃなかったなんて堂々と言うと、なんて弟子だ!って感じですが(笑)

さて、コンサートはうまくいくでしょうかね♪

人気ブログランキングに参加しています。応援クリックお願いします。→人気ブログランキングへ

0 件のコメント:

コメントを投稿