2015年1月26日月曜日

人生の優先順位その5

日本に帰国してから、なんだかんだと充実した生活をしてるんですよね。具体的に何?と言われても困るんですが。笑

で、結局「隠居生活」って言ってもなかなかゆっくりPCに向かってる暇ってなくて、最近ブログの更新が滞りがちなんですよね。ま、裏を返せば、オランダの最後の数年はいかに充実していない生活だったのか・・・と自分でも振り返ってみて苦笑することしきりの今日この頃。

ということで、人生の優先順位の続き。

この充実した生活っていうのが実はとっても大事なんですよね。というのも人間ってやっぱり一人では生きていけない動物。誰かしらと社会で関わることで生きていけます。

即ち、そうやって誰かと関わることで自分の存在を改めて認識するとでもいいましょうか。これって自分の存在価値なんではないか?と。

例えばずっと病気がちで誰かの世話になってばかりだと誰しも嫌気がさします。

なんで自分は生きてんだ?
こんな人に迷惑ばかりかけて生きてる意味ないじゃん

とか思うほどになると鬱で危険信号ですが、「あなたが生きているだけで意味がある」って誰かが真剣に自分のことを思ってくれてないと自分の価値が見出せなくなってきたりするものです。まぁ要は誰かにしっかり愛されてないとダメってことですね~♪

普段、ふつーに生活していれば、仕事なり、家庭なりで、自分の存在価値って見つけることができるものです。物理的に動いてなんらかしらやってりゃ「あなたがいないと困る」ってどこかしらの局面で思われる存在になっていることでしょう。

ところが、なにもかも自分でちゃんと出来なくなった時、意外と自分の存在価値を見つけるって難しいことだったりします。

けが人、病人、高齢者・・・社会には色んな弱者がいて、自分もいつなんどきそうなるか分からない。で、そうなった時にあなたは自分の存在価値って見出せますか?って話。

物理的に何もできない時の存在価値ってすなわち目に見えないことだったりします。分かりやすい例でいうと、専業主婦がある日突然病気で「主婦業&ママ業」が全く出来なくなったとして、それでも旦那さんや子供さんから「死んじゃやだ!」って思われるのはあなたに何があるから?って事です。

この例の答えは明白で、あなたは愛されているから死んで欲しくないと思われるんですけど、もう一歩つっこんであなたの「何を」旦那さんやお子さんは愛してるんでしょ?と。ある人は旦那さんやお子さんの話を聞いてあげられる、ある人は癒してあげられる、ある人はその生き様をみせられる、ある人は無条件で旦那さんやお子さんを愛している・・・考えると意外とあるものなんですよ、目に見えないけどすごい重要なこと。

どっかの新興宗教の教えじゃないけど(笑)、誰かを愛して、愛されて、その愛に値するだけの価値、これがお金より、地位や名誉より、人として何より重要なのではないですか?ということ。ちょっと漠然としてるかもしれないけれど、人としての中身ってことですかね?

ま、私も、人に威張れるほどの中身があるとは決して言えないけれど、地位や名誉やお金より、人間の質の向上に注目できる程度には歳をとったってことですかね。笑

2015年1月23日金曜日

ボランティアの裏側

東日本大震災が起きた直後、私が何かに憑かれたようにボランティアに走ったのはかれこれもう4年近く前。そろそろ時効かな~と思うので、ここいらで本音トーク炸裂させようかと・・・笑

とにかくわき目も振らず寄付金集めをしようと、FacebookやMixi、TwitterなどのSNSを慣れないながらも駆使し、ありとあらゆる人脈を使って、情報拡散し、メディアなんぞにも協力してもらってあれよ、あれよという間にこのボランティア団体も、その活動も大きくなっていった。

みんなの注目が集まっている時こそが、一番寄付も集まる時。この頃は平均睡眠時間が2~3時間で、多分仕事が一番ノッてた時期の3倍くらいの忙しさで、電話3本(家電、携帯、スカイプ)24時間ほぼ絶えず鳴ってる状態だった。

好きで始めたボランティア。自分のためにやっていたからやりがいもそれなりにあったし、今振り返れば、あれはあれですごくいい経験だったとも思う。ビジネススクール卒業して初めての実地でその知識を試せる場でもあったし。

ま、そんな状態だったのは私だけでなく、この頃震災支援のボランティアをやっていた人はみんな大なり小なりそんな感じだった。そういう人同士で情報交換してたし、自分が大変な思いをしてイベント開催してたから、活動が行き詰って困っているときは多少の無理はしてもお互い助け合ったりもした。

私の活動もそんなわけで随分色んな人に助けられた。本当に見ず知らずの方にどっぷりお世話にもなったし、その恩返しは未だに出来てないほど。ただみんな「被災者のための寄付金集め」という共通の目的を見ていたし、その活動に共感してもらえたからこその協力であったとは思う。

という前置きはさておき、ここからがぶっちゃけ話。

まぁそうやって色んな方にお世話になった活動だったから、今まで言ってなかった事も実はあって。ただこういうこともあったのよ、ということは記録もかねてそろそろ言ってもいいかな?と。

はっきり言って自分の貯金崩して、赤十字社に寄付するほうがどれだけ楽だったか!と思うイベントは山のようにあった。それでも色んな人に被災地のことを知ってもらいたかったし、一人でも多くの人に協力してもらいたいと思ったから、ああいう形になった。勿論、反省点はあるし、もっとよく出来たことはあったはずだし、自分にも至らなかったことも色々あったのは確か。ただある日とんでもない電話をもらった。

正確にはうちの実家に電話があり、その対応をしたのは母だった。その内容を聞いた限りで大まかに纏めると、

「あんたのとこの娘、寄付金集めるっていう名目でコンサートとかしてピンはねしてない?集めたお金、きっちり全額こっちに送金してもらいました?」

とか。うちの母、結構いい歳なんで、あわてふためいてこっちに電話してきましたわ。心臓発作おこさなかったのは不幸中の幸い。(苦笑)

その後、直接私が電話でやりとりをして誤解をといた、というのも変な話ですが、そもそも論でなんでそんなこと言われなあかんの?と。

この方、被災地支援の某プロジェクトの関係者ですが、私はその方のことはぜーんぜん知りもしなかったんですね。私自身はこのプロジェクトの別の関係者と面識があって、そこ経由お話を頂いて、プロジェクト内容に共感したのでじゃあご協力させてくださいということだったんで。

オランダでイベントするにあたってお借りしたものもあったし、送ってもらったものもあった。それもこれも全部、私の知り合いの関係者経由。で、無事イベント終了して全額お約束通りそのプロジェクトへ送金し、お借りしたものを返すべく『自腹で』私の引越し荷物と一緒に日本へ船便で送っていて、その電話をもらった時はそれらはどこかの海の上。

私と話したときにはこのオバ様、言葉面は丁寧だったけど、言ってる内容は

1. 私がお金ピンはねしてないか
2. 私の知り合いのプロジェクト関係者が本当に寄付金お礼グッズをオランダに送ったか(要はこれもお金のピンはねがないかってことですが・・・)
3. 貸したもの返せ

ということ。

うーーーーーん・・・・・・・・

いや、お金のピンはねっていうより、実際の所は持ち出しですよ、ほとんど。イベント協力した方は大なり小なり、自分の出来る範囲で持ち出ししてますよ?それが現実。

でもそれより何より、寄付をするかしないかって寄付する人の自由意志であるから寄付なんであって、それをもらう側が色んな理由を楯に「出せ」って要求したら、お金くれって言うオレオレ詐欺というか、ボランティア詐欺でしょーが!というかこの人、モンスター自称プロジェクト関係者!?

さらにこちらとしてみれば、このプロジェクトに共感したから協力しよう!という自由意志だったワケで、「あなたの為にこちらのXXを貸してあげたのよ」的な上から目線のマインドは如何なものかと。なので、実際に借り物をお返しに行ったときもこちらからわざわざ車出して伺ったにも関わらず、「持ってきてくれてありがとう」もなければ、「プロジェクトへのご協力ご苦労様でした」もなく、せいぜい「やっと持ってきたわね、この泥棒ネコが・・・」程度の扱いだったのはいうまでもなく。

いやー、びっくり!(*゚O゚)

いえね、こっちが「プロジェクトに協力してあげた」とか「お金集めてあげた」とか「自分の貯金使いまくった」とか「送ってもらったグッズ苦労してさばいてあげた」とか「そのバカみたいに重い借り物、自腹切って日本に送ってあげた」とか「面倒だけどわざわざ出向いてその重い借り物持っていってあげた」とか言うつもりはありませんよ?好きでボランティアやってたわけだし。だけど、こーんな仕打ちされると言いたくもなるでしょ。って、思いっきりここで内容公表してますが!(爆)

ということで、この件以来あまり震災支援とか、ボランティアとかいう言葉に反応しなくなったわけです。せっかくお声がけ頂いてもご協力できてないみなさん、すみませんね。もうちょっと立ち直る時間くださいまし。<(_ _)>