2010年6月30日水曜日

新しいブログ始めました

寺子屋経営を色々考えていて、経営論で有名なドラッカーのハーバード・ビジネス・レビューというのを読み始めました。ハーバードが出版する経営学関係の短い記事です。

その中で「世の為になることをすると、それは必要とされる」というくだりがあり、そういえば前から「これは企業財務担当者の役に立つかも」と思いながらなかなか手がつけられなかったことをこの機会にやってみようか、と。

詳しい内容はそっちのブログのほうに書いていますので、ご興味のある方は下のリンク「インターナショナル キャッシュ マネージメント」をクリックしてみてください。

どうでもいいけど、書くことがどんどん増えるので、続くかぁ???

2010年6月28日月曜日

退院しました!

前にも書いたとおり、5~7日位の入院を覚悟して行ったのですが、術後の経過がめちゃくちゃ良くて、3日目の朝にはお家に帰らせてもらえました。ということで、今日は術後5日目。痛みも大分なくなり、ちょっと元気になってきて、退屈し始めた頃です。

手術の日の朝、病院に行ってまず血液検査用の採血をしてもらいました。が、これが大変で。右側のリンパを取って以来、リンパ浮腫になってはいけないので、右腕には注射針を刺してはいけないんです。で、いつも左側なんですが、抗がん剤もこの左腕で全部済ましたので、実は左ひじ関節内側の静脈は殆ど見えない状態になってます。で、どこを刺すかと言うといつも手とか手首なんですが、静脈が細いので結構大変なんですね。で、この日もやっぱり看護婦さんが苦労して4回刺してやっと最低限の採血ができたと言う。。。

で、手術室に入ったら、また針を刺すと言うではありませんか!麻酔医に「とにかく針刺すの大変だから、先に眠らせてくれない?その後なら、何してくれてもいいから。」とお願いしたのですが、「いや、麻酔で寝るためにはまず一番初めの針がささってないと、麻酔もかけれないんだよ。」って!採血用で刺した静脈にはもう針が刺せないので、手の別の部分を探してまたプチッ、プチッ。もう場所がないので、今度は足まで。足はプチッなんて可愛らしいもんじゃなくて、ぶち~っと悲鳴を上げるほど痛い。で、5回目にしてやっと麻酔用の針が刺さったわけで、この日意識のある間だけで合計9回ですよ、もう!

針を刺してもらっている(?)間、麻酔医&そのアシスタントの人と雑談。まずは手術室がかなり冷え込んでいるので「冷蔵庫みたいだよね~」と言うことから始まって、その日の夜のワールドカップ予選最終戦の話まで。「手術終わって目が覚めたらオランダ戦が見れるよ」と言われて、「いや、私はNederland3(オランダのテレビ番組で、オランダ戦の裏番組の日本戦の中継局)よ。日本人だし~」まぁ、前回の手術を知ってるから口では日本を応援、とは言ったものの、現実的にテレビ観戦なんて出来るわけないよな~と。

で、針が刺さったら速攻で麻酔をかけてくれたので、数秒でオチました。気が付いたら「木山さ~ん、木山さ~ん、起きてくださ~い。」既に手術室から出て、手術後の経過を見る待機室にいました。その時点で11時半。手術室に入ったのが8時だったので、「あぁ、前より短いし、何事もなく終わったな」と思ってまた眠りにつき、その合間に痛みがひどくなったので一度モルヒネを打ってもらいました。今回は意識がはっきりしているところにモルヒネをもらったので、モルヒネが体に入った瞬間に体がもわ~んとして、雲の中を歩いているような感覚がよく分かりました。「あぁ、これをみんな『気持ちよくなる』と言うんだ~」って。

痛みも落ち着き、一通り寝て起きたら13時半。そのまま病室に連れて帰ってもらいました。今回は意識がはっきりしていたので、麻酔のせいで眠いのですが、来てくれた彼とか、担当の看護婦さんとか、様子を見に来てくれた形成外科医の先生とかと、普通に会話が出来て、前回を知っている彼も「すごいね~」と驚いた位。あまりにも普通の状態で、次に気になるのは、「お腹すいた~」ってこと。で、夕食も普通に食べちゃったので、看護婦さんも「普通に飲んで、食べてるみたいだから、点滴はずすよ」って。その後、ちゃっかり日本ーデンマーク戦もみれたんです、びっくり!ま、前半2-0で終わってからコマーシャルで眠ってしまったので、気が付いたらすでに3-1になってましたけど。

翌日はドレーン(体液や血液を体外に出す為の管)からも殆ど何も出なくなっていて、外していいし、外れたら家に帰ってもいいって。ところが、今回は神経をあんまり取ってもらってなかったみたいで、ドレーンを外すのが痛いのなんの。前回は神経が殆ど残ってなかったので、何も感じなかったんですが、今回は体内に入ってる管をずず~っと外に引っ張り出すのが全部分かるんですね。感覚としたら釘で車のドアをギギ~ッとやるあの感じ。勿論、その傷口が痛すぎてベッドからも出れないし、看護婦さんが気を利かせて超強力痛み止めを持ってきてくれました。威力はモルヒネに相当する(家で飲んだ時には体が弛緩しすぎて倒れるか?と思った位。)とか。

本当はその日に家に帰るつもりだったのですが、余りにも痛くてまだ自分では何も出来ないから、念の為もう1泊させてもらいました。次の日の朝になると、痛くても自分でベッドから起き上がれるようになり、シャワーも自分で浴びれたので、家に帰らせてもらうことにしました。ということで、たった3日で病院脱出成功!今は少しずつ痛み止めの量を減らしながら、ソファーでのんべんだらりと過ごしてます。でも、やっぱり何もしないって、た・い・く・つ。

2010年6月24日木曜日

いざ出発!

今日が長らく待った手術の日です。日本と違って、手術当日に病院に行けばいいので、その辺はちょっと嬉しいのですが、これはなるべくベッドを空けておきたいオランダの病院側の意向だと思います。でも、朝の7時には病院にいかないといけないので、結構早起きが必要となります。

当然、「手術」ということで落ち着かないし、昨日(っていうか、すでに0時回っていたので今日か・・・)はなかなか寝付けませんでした。それでもって、やっぱり早くに目が覚めて。でもすることがなくて手持ち無沙汰なので、今ブログを書いています。(苦笑)

何が一番困るって、本当は今日の0時以降何も食べれないこと。ちゃんと寝れていれば、この問題も軽くクリアできるのですが、起きている時間が長いとかなりヒモジイ。。。さらに、朝の6時以降はもう何も飲めません。ということで、さっき最後のお水を一杯飲んだところです。これからのどが渇かなきゃいいんだけど・・・

さて、そろそろシャワーでも浴びて準備することにします。え~っと、入院は多分5~7日。退院して自宅療養になっても当分PCに向かう元気もないと思うので、しばらくこのブログはアップできませんが、なるべく早く復帰できるように頑張りま~す!

2010年6月19日土曜日

寺子屋

2年前からボランティアを始めました。この私がボランティアなんて考えたこともなかったけど、今はこのボランティア活動に結構救われている部分もあり、始めてよかったなぁと本当に思えます。

きっかけはビジネススクールを卒業したこと。イギリス系の学校で山のようなレポート書きを英語でさせられて本当に苦労したから。元々語学は超苦手なんですが、必要に迫られて色々覚えただけ。でも生活に困らない会話ができても、それで大学院レベルの勉強がこなせるという訳ではないんですね。
元々は音楽家の私。耳はいいので授業で教授の説明してくれることは問題なく理解できるのですが、各科目のテキストは少なくとも400ページはある。大抵、他のレポートとか、試験とかに重なるので、このテキストに目を通す時間は大抵あっても1週間。読めませんよ、訳のわかんない経済とか、統計とか、マーケティングとかの理論が延々400ページですからね。会社行く電車の中で頑張って読もうと思っても途中でウトウトするのが関の山。

本が読めなくても、意味があんまり理解できてなくても、それでもとにかく授業にさえ出ればなんとなくはついていける。実は、本当に大変なのはレポート書き。日本語の文章っていうのは昔から「起承転結」ですよね?ところが、英語の場合はまず内容の概略。それで中身を書いて、最後に結論とするパターン。なので、大体は途中から書き始めて、最後の締めくくりを書いて、最初に手を入れることが多かったですね、私は。それでも宿題なら、締め切りにさえ間に合えばいいので、睡眠時間を削って(なのでいつも睡眠不足に陥ります)ゆっくり時間をかけて書けばいい。実は試験のレポートが一番怖い。と言うのは、試験は日本のように記憶式で正しい答えを書けば良い訳ではなく、論文形式で「XXについてどう思うか?」という質問に延々と書いていかないといけないんですね。アルファベットの筆記になれていないアジア人はどうしても書くスピードが遅い。隣とかが倍のスピードで書いていく中、限られた時間と語彙と文字数で自分の勉強したことを理論的に書いていく、これは本当に大変。

さらに授業も「教授が教え生徒が聞く」という日本の大学講義式ではなく、先生が話す内容に生徒が色々口を挟んで議論式に授業が進むんです。教科によってはこの授業への参加度や貢献度が成績に反映されるんですね。黙って授業を聞くことになれている日本人には「とにかく口をひらかないと!」というプレッシャーはかなりキツイものがあります。

ま、そんなこんなで、「オランダ在住10年強で西洋式には慣れてるから」という自負は学校入学と同時にあっという間に消え去り、2年間死に物狂いで勉強して、苦労してようやく何とか卒業させてもらってすぐの頃「もう自分の為に投資するのは十分。これまでの苦労を社会に還元できたらいいなぁ。私と同じように文化や教育システムの違いで困っている人を助けたりするといいのかなぁ」となんとなく思っていた時に、この寺子屋のボランティア話をひょんなことから持ちかけられたのです。

今オランダにある日本人学校、補習校についていけない子供達の為に日本語や日本文化を学べる場所を作りたいと。昔の寺子屋みたいな所。私の場合語学が駄目なので、日本語を教えるほうではなく、組織の立ち上げ、事務、管理、その他諸々。実際にやってみると、ビジネススクールで勉強した「マネージメントとは何か?」というのを考えながら色々組織を作ったり、変えたり、と試せるので、実に面白い。よくよく考えてみると、会社組織の中では出世しないとこういう知識は無駄に終わるんですね。でも、私はそれを使える機会をある意味与えてもらったと言うか。

で、色々今やっている寺子屋活動の一つ、「寺子屋ブログを充実させて、対外的に寺子屋活動を紹介しよう」ということ。寺子屋関係者が色々これから書き込んでいこうということなんです。で、私がここで何がいいたいのかというと、

このブログの右下に寺子屋ブログのリンクをつけました。
みなさんぜひ読んでみてくださいね。

というお知らせです。すいません、めちゃくちゃ長い前置きで・・・

Heerenveen 6月18日

オランダの北にあるこのヘーレンフェーンという街に音大時代の友達が住んでいます。彼らがユトレヒトからそこへ引っ越してかれこれ数年。しばらく連絡していなかったのですが、ひょんなきっかけで連絡をし、昨日はそこまで車で行ってきました。

車でな~んにもない高速を約130キロで飛ばして片道1時間半。かなり遠かったです。今までは遠いからと思っていたけど、やっぱり車があると「よっしゃ、車のって行けばいいや」と思えるので、やっぱり前よりは色んなところに足が伸ばしやすいです。ということで、車持ってそろそろ1年。もう車なしの生活は考えられませんね。ははは

6年ぶりにあった友達の旦那さんも音大時代の友達なので、3人で自分達の話だけでなく、昔話や、共通の知り合いの近状を教えあったり、で楽しく時間はあっという間に過ぎちゃいました。誰が結婚したとか、離婚したとか、子供が出来たとか、なかには私と同じく癌と闘ってる人もいて、気が付かない間に時間って経ってるんだなぁ~と。

ちなみに彼のほうは元ホルン吹きで、彼の伴奏も学生時代色々やったのですが、院では指揮を勉強して、今は指揮者なんです。最近の私は暇に任せて色々ピアノコンチェルトをさらっているので、ついでに「ピアノコンチェルトやらない?」とちゃっかりお願いしてきました。私が順調に回復すれば、彼が指揮するクリスマスコンサートに出してもらえそうです。ラッキ~♪ 正式に場所と時間が決まったらまたここでお知らせしま~す!

ちなみに写真は近所を散歩&サイクリングした時の写真です。とにかく自然に囲まれたきれいなところでした。

2010年6月18日金曜日

次回の手術

急ですが来週の木曜日6月24日に手術が決まりました。前にも書いた通り、予防治療の一環です。外科医曰く、今回は癌が見つかったわけではないので、切除範囲は前回の右側より狭いそうです。ただ、この外科の先生(ユトレヒト大学教授)に言われたのは「手術前にもう一度レントゲンとっておいて。手術台で驚きたくないから」って。つまり予防治療とはいえ、これから切るところにもまた癌ができているかもしれない可能性がなくはないということ。「脅かさないでよ!」と思ったものの、「実際そういうケースが多いからなんだろうなぁ」と。途中から担当医がこの教授になったことを考えても、結構私の状態ってそんなに甘くはないんだなぁと思いました。

前回、右側の手術をした時には、結構すごい状態で手術室を出たようです。私はモルヒネでラリっていた状態なので結構ハイでご機嫌だったんですが、後で聞いたら血圧は45/70というものすごい数値で、赤血球も全然足りなくて輸血寸前だったそうです。さらに手術後の夜、「尿が1リットル近くたまってるみたいだから、トイレに行ったほうがいい」と言われてベッドを降りた瞬間、貧血起こして意識飛ばしちゃったし。これまで貧血で倒れたことは何度もありますが、モルヒネが効いている時は本当に「一瞬死んじゃったのかしら?」って感じで違うんですね。麻薬のオーバードースで亡くなる人ってこんな感じなのかもしれません。ともかく、そんな状態だったので翌朝の回診は1番で、ベッドの周りに外科医、形成外科医、病棟医、それぞれのアシスタント医、プラス看護婦で10人近くに囲まれて起こされました。

手術室から出た時は管が7つも付いていて、自分の事ながら「植物人間みた~い」なんて思っていましたが、3日目には「血栓になるから歩け」というスパルタ看護婦の元、80歳のばあちゃんかと思うくらいゆっくりしか歩けなくても、歩かされて。。。でもまだ若かったんですね、体力もあったみたいであれよあれよという間に元気になり、私より10日前に手術したという同室のおじちゃんを置いて、1週間後に私の方が先に退院しちゃったんですね。

とはいえ、やっぱり手術から完全回復するまでに約3ヶ月かかりました。どんなに退院できても、体力が落ちてるので、人と話すことも大変、本を読む気力もない、テレビも外国語は疲れるから見るのはもっぱらインターネットで日本のドラマとか。

と思い出せば色々あるわけですが、「あれをまたもう1度やるのか」と思うと、まあ憂鬱とは言いませんが、気分は面白くないんですよ。今回は切除範囲が狭いと言うことなので、願わくばもうちょっとまともな状態で手術室から出ることが出来て、回復が前より早ければ良いなぁ~と。ということで「動けるうちに色々やっておこう」と、ここの所、結構忙しい毎日です。

2010年6月17日木曜日

病院の食事

昨日、友人からメールをもらいました。韓国にいて、近い将来入院しないといけないんだけど、とにかく病院食がマズいんだと。なんと毎日味のないわかめスープで、その友達の表現曰く「わかめがうにょうにょ」してるんだそうです。う~ん、想像するだけでマズそう!確かに日本でもよく病院食はマズいと言いますよね。じゃあオランダはどうかって?ひどいの一言に尽きます。ということで、今日はオランダの病院食について。

皆さんご存知の通り、オランダは基本的に食事がおいしくない。オランダの食文化は基本的にあのファン・ゴッホの「ジャガイモを食べる人々」の絵のように、芋なら芋、肉なら肉、って感じで、茹でるか、焼くかっていうシンプルなものが多いのです。これだって素材がよければたまにはおいしいと思いますが、まあ余り毎日食べたいな、と思うものではありませんね。ただオランダは大航海時代に色んな国に行ったり、最近では移民を広く受け入れたりで、その度に違う文化を輸入、吸収していますから、色んなものが食べれることは確かです。ということで、病院でもパスタも出れば、肉&野菜のオランダ風もあるし、インドネシア風の炒めご飯のナシとかもでます。でもこれはあくまで1日1回、夕食のみの話。

ともかく一番おいしかったのはこのナシ。これは二人分頼んで、私のいない間食事に困っているうちの彼と一緒に楽しく分けて食べたくらい。といっても、勿論レストランとかで食べるナシのほうがおいしいんですけど、ひどい病院食の中ではこれが一番ってことで。その次はオランダ風の肉or魚とか野菜とかで、塩&こしょうを多めに注文して自分で程よくかければ、そこそこ食べれなくもない。勿論味を足さないと、何食べてるのかわかんないくらいひどい代物ですけど。でも、パスタが出た時には見た瞬間に蓋をして口もつけずに返しちゃいました。というのも、茹ですぎでべちょべちょの小さいマカロニに何か分からないほど細かく刻んだ野菜の類とクリームソースが絡んでるんですが、見た瞬間「誰かこのお皿の上で吐いたんですか?」という感じ。そう思った瞬間に気持ち悪くて食欲はあっという間に減退。

で、残りの2食はパン。それもサンドイッチ用の薄っぺらいあのパンが毎回2切れ。しかも3日くらい置いてあったんじゃないの?っていう位ぱっさぱさ。で、付いてくるのはチーズか、ハム類か、あとはジャム。チーズもハムも食べない私は甘いものしかチョイスなし。それを1日2回入院中延々と食べないといけないわけですよ。なので、入院が長引けば、長引くほどこの苦痛は続くことになります。まぁ、殆ど拷問ですね。

初めての入院で勝手が分からなかった去年の1月。手術直後でパンを飲む込む元気もなく、唯一食べれそうな果物も「まだ早すぎるから駄目」と言われて、手術日から何も食べずに過ごして1日半(つまり5食抜いた)、さすがの看護婦もヤバイと思ったらしい。「あなた何も食べてないそうだけど」と様子を見に来てくれた。状況を話したら、「とにかく食べないと駄目。あなたの場合食事制限はないんだから、家の人に頼んで普段食べてるものや、食べれそうなものを持ってきてもらいなさい。食べないよりそっちのほうがいいから。」まぁそれから退院するまでの6日は好き放題させてもらいました。パンもいつも食べているパン屋さんのムスリパンとか、有機栽培の特別ブランドのバナナとかは序の口で、どうしても食べたかったワンタンスープを理由に、普段使っている近所の中華レストランのテイクアウトとかまで持ってきてもらいました。

最近は病院によってはこの辺を改善してるそうですけど、どんなに健康によく、おいしいものと言われても、全入院患者の食事はやっぱり限界があると思うんですよね。配膳にだって時間がかかるからどうしてもさめちゃうし、作りたてと言うわけにはいかないじゃないですか。昔から日本語でも「いい塩梅」という表現がある通り、おいしいものはこの塩分とか酸味の微妙なバランスがとれたものの事だと思うんですね。となると、高血圧患者の為の料理がおいしい訳がない。さらに私なんて超低血圧なので、塩が欲しくてしょうがない。そういう状況の人に味のないもの出されても全く食欲がわかない。一方でジャンクフードであるはずのポテトチップスとか、塩っ辛い中華がおいしい。まあそれなら好きなものを食べさせたほうが私みたいな患者は早く元気になる。ま、その点、オランダは実に患者思いでよかったりするんですけど。でも、今後食事制限のある病気になって入院しないといけなくなったらと思うとちょっとぞっとしますけど。。。

ブログ

途中、小休止しながらもなんとなくブログが続いている今日この頃。ひょんなことから、自分が思っているよりも、もっと多くの人に読んでもらっていることを発見。気合入れて書かなきゃ!と。

というわけで、その決心が鈍らないうちにちょっとブログのレイアウトなどを変えてみました。やっぱり色とか変えると気分転換になりますね。ま、自分の好みってあんまり変わらないから、結局似たような色を選ぶようにはなりますが・・・

ではみなさん、引き続きこのブログ、宜しくお願いしま~す!

2010年6月16日水曜日

アルバム作り

最近は写真がデジタル化されたせいか、とった写真は全部PC保存。念の為、インターネット上にもPCとリンクさせて保存してます。フェースブックのようなコミュニケーションツールにも写真がアップできるので、結局そこに色々書き込んでは友達に閲覧してもらったりしています。

が、この方法だと結局自分では絶対に見返さないんですね。昔のアルバムはそういう点ではやっぱりよかったなぁと。時々思い出してはページをめくって過去に戻るというのはやっぱりいいですよね。と思うのは勿論私だけではないので、最近の写真屋さんは少なくなった現像料を取り戻すべく、アルバム作成なんかもサービスとしてやってるんですね。

知ってはいながらもなかなか「始めよう!」と言う気にならなかったのですが、「今回の旅行を機会にアルバムを自分で作ってみようかな」と思っていたら、ちょうどHEMA(オランダ版イトーヨーカドーみたいなもの?)でアルバム作成15%オフのセールをやってた。そうなったら、「こりゃやるしかない」と。

気合をいれて作り始めたのですが、やっぱりどの写真も載せたいし、見た目の出来も気になるから、何度も何度もやり直しで、思ったより時間がかかりますね。でも、時間はどうせたっぷりあるのでいいんですけどね。

そういえば、このHEMAの写真サービスをみていたら、アルバムだけでなく、料理ブックも作れるとか。これ、日本語でこっちの料理満載で作ったら実はかなり売れるかも!とひそかに思ってるんですが、欲しい人います?

ロスチールド家の邸宅と庭園

ニース郊外のサン・ジャン・キャップ・フェラ(Saint-Jean-Cap-Ferrat)というところに、ロスチールド家の邸宅(ヴィラ)と庭園があります。欧州の邸宅や宮殿など色々みていると、ここの邸宅はそんなにすごいというわけではありませんが、お庭はすばらしかったです。

サン・ジャン・キャップ・フェラ半島の高台に位置し、ニースが一望できるところに広いお庭があり、区画ごとにちがうテーマの庭園になっています。スペイン風庭園、フランス風庭園、バラ庭園。そのなかには日本風庭園もあり、なんと奈良の春日大社の石灯籠とかがあるんです。池に鯉は泳いでるし、「日本風」ではなく、そこだけは完全日本といった感じでした。

ということで、写真をアップしておきます。

2010年6月15日火曜日

シャガール

私の好きな絵の一つがシャガール。あの柔らかいタッチが好きです。今回、ニースにシャガールの美術館があると聞いて、行ってきました。

美術館に入る時にカメラを預けようとしたら、フラッシュさえ使わなければ撮影自由といわれ、遠慮なく撮ってきました。

ちなみに今回始めて知ったのですが、シャガールは宗教関係の絵が多いんですね。彼に言われるまでぱっと見の印象でしか絵を捕らえていなかったのですが、確かに言われてみれば宗教関係のものが圧倒的に多い。こういうところにすぐ気が付くのはやっぱりキリスト教が下地にある所で育った人なんだなぁと思います。感受性として持っているものと、後から学んで身につけるものの違いって言うんですか。勿論、私達日本人が独自の感受性としてもっているものもあって、それはやっぱり仏教なんですね。これは西洋人に東洋とか仏教とかを語らせると「ほんと、何も分かっちゃいないな」と思うのと一緒なんですけど。

そういえば昔、音大時代に色々先生に言われたことがあって、西洋音楽で禁止とされている音列(連続8度など)があって、これは聞いているうちに分かるようになると。あと、日本の民族音楽は5音(西洋音楽はドレミファソラシの7音)なので、最近のポップなんかも結局全部5音で出来ているとか。これは5音が一番しっくりする音階らしいんですね、日本人にとって。そういうのも、確かに勉強しているうちに聞こえてくるようになるんです。そういう音感とかも結局持ってうまれてるものと、後天的に学ぶものってあるんですね。

ということで、西洋と東洋の違いはいつまで経っても奥が深いなぁと思うわけです。

モナコ 6月12日

オランダに帰る前に「どうしても」と言い張って、モナコ観光しました。感想はちょっとがっかり。自分の中できらびやかなモナコのイメージがあって、すごく期待して行ったのに全然たいしたことなくて。あれよりきれいで見所のある街は欧州にはいっぱいありますからね。

でも、モナコで一つ楽しかったのは、人の車の鑑賞。さすが金持ちが集まる場所だけあって、車も違うんですよ。フェラーリとか、アストン・マールティンとか。例えば、高級車のフェラーリならオランダでも見かけるんですが、モナコを走り回ってるのは最新モデルとか、特注モデルとかなんだろうな~と思えるものばかり。しかも、高速とかモナコーイタリア間を本気ですっ飛ばしていくわけですよ。いや~、壮観でした。

で、私達もレンタカーでモナコを走ったのですが、当然モナコの中なのでF1とかで使われる道も普通に走れたりするわけです。が、レンタカーは安物のオペル。臨場感はぜ~んぜんありませんでしたがね。(当たり前か)

観光でよかったのは水族館。それでも日本の水族館とかに比べれば小さいんですが、久々に水族館に行ったせいか随分楽しみました。

ドレス

観光途中にとっても可愛いドレスを発見!でも値段を見てぶっ飛びました。なんと415ユーロ。。。さすがに無職の身には手が出ない。ということで、写真だけ撮ってあきらめました。でも願わくば、「この写真を元に似たようなデザインで誰かに作ってもらおうかな」な~んて虫のいいこと考えてます。家の彼曰く「あぁ、中国人みたい。そうやって何でも海賊版作るんだよなぁ」って。だって可愛かったんだも~ん。それで欲しいんだも~ん。

遠足 6月8日

この日はドルチェアクア近くのRocchetta(ロッケッタ)という村の山奥まで行ってきました。実は、そこの峡谷には6メートルの滝があるそうで、本当はそれを見に行く予定だったのですが、どうも道を間違えたらしく、いつまでたっても滝は見れませんでした。でも、景色だけは最高で、滝は見れなかったけど、いい遠足になりました。

ジェノバとアレンツァーノ 6月9日

ドルチェアクアには何もないので、ジェノバまで足を伸ばしました。さすが航海時代に栄えたことがあっただけに建物など見事でした。ちなみにジェノバについて調べるまで知らなかったのですが、その時代に建てられた立派な建物はPalazzo(伊語:宮殿)と呼ばれ、これらはユネスコの世界遺産に登録されています。有名どころはPalazzo Rosso(写真右)やPalazzo Realeとかで現在は美術館として使用されています。

ちなみにドルチェアクアからジェノバまで行くのに立ち寄るのにいい街というのをジェノバ出身の私のイタリア語の先生に教えてもらい、今回行ったのが、Arenzano(アレンツァーノ)。着いてみて「一体何を見ればいいんだ?」って感じでしたが、そこはもう「地元民に聞いちゃえ!」ってことで、その辺歩いてるオバちゃん達を捕まえては習いたての片言イタリア語で色々聞いて回っちゃいました。そうすると、彼らがお勧めしてくれる所ってやっぱりいいんですね。たいしたことのない小さな街でしたが、大好きになっちゃいました。右の写真はオバちゃんお勧めの公園内にある市庁舎らしき建物です。

2010年6月7日月曜日

ドルチェアクア

元々日記とかの類が続けられない私。しばらく更新をストップしてましたが、友達がブログを始め、私のブログのリンクを彼女のブログにのっけてくれたので、「そうだ、書かなきゃ」とまた頑張って書き始めようと思います。

さて、現在イタリアのドルチェアクアと言うところに来てます。フランスとの国境近くの小さな村です。一番近い空港はニース。ニースにも行ったことがなかったので、今回はニースに1泊して、モナコ経由イタリアに入りました。

ニースの海の風景は去年行ったイタリアに匹敵するところですが、ニースのほうがこぎれいな感じがします。イタリアはそういう意味ではちょっと手がかかってなくて素朴なんでしょう。ということで、世界の金持ちがニース、カンヌ、モナコあたりに群れる理由がちょっと分かった感じがします。

ドルチェアクアは山の合間にある小さな村です。はっきり言って何もないど田舎ですが、綺麗な景色とおいしいご飯はやっぱりいいですね。ということで、ぼちぼち写真やら、行った場所などを更新していきますね。